私ね、本出すの、一旦辞めようと思うの。

今まで本当にたくさん、文学フリマで出展させていただきました。これからもたくさん出したいなと思っていました。

 

それを、一旦辞める決心をしました。

 

売れないアイドルの引退インタビューみたいでちょっとカッコ悪いですね。

 

ちょっとだけ、今の話をさせてください。

 

すごく大切にしたい恋人ができました。

いや、まって、だから、売れてないアイドルの引退じゃねーかってブラウザバックしないで!

 

私にとって本当に、この人が最後になればいいなと本気で思ってます。中学生みたいって思うかもしれないですけど。くだらないけど。

 

私が障害者だって知った時も、2秒と待たずに「そんなの知らない、関係ない」と言ってくれた人でした。

 

私が今、本を出しているのは彼も知ってて、冗談めかして「一緒にイベントいきたい〜」なんて笑ってくれてました。私はそれをのらりくらりかわしてたんですけどね。だって、過去の男とか、自分の愚かな行いとか、そういうことをモチーフに文章を書いていたので、そんな自分を知られたくないって思っていたから。

 

だから、隠れて毎回遠征してたし、出展してました。いつか言わなきゃだよなって思いながら。

 

でも、いつもイベントの後には、私には勿体無いくらいの感想をいただけて、その度に、あ〜辞めたくない、辞められないなって思ってました。

 

でも、そうやってみんなの言葉をもらうたびに、隠していることもつらくなってきました。

こんなにきらきらしたものをもらって、それを隠さなきゃいけないなんて、って思いもあるし、同じくらい、私はこんなに汚いのにたくさんのきらきらをもらっていいのかなとか。

この人に黙ってていいのかな、この人に隠し事してていいのかな、って思いながら出展を続けていました。

 

友達に相談して、隠し事はやっぱりよくないと思うって言われて、そうだよな、ってLINEをして。

 

こんな大切なことも1人じゃ決められない私が嫌になる。

 

『私の本、ほんとに読む?』

『私のこと、バカだなーとか、今後のこと考えられなくなっちゃうなとか、思うかもだけど』

 

恋人、LINEの返事、いつも遅いのに、今日はすぐに帰ってきて。

『わかった』

『いや、やっぱりいい』

って、すごく悩んでるのがわかったんですね。

多分、向こうも私のこと嫌いになりたくないんです。多分だけど。

こんな風に思わせてしまったことが悲しくて、不甲斐ないなぁ〜と思って。

胸張って「好き」と言えないことの苦しさは私が1番知ってたはずだったのに。

で、あぁ今私に出来るのって、多分今この人を大切にすることなんだよな、と思ったわけです。

 

そのためには、過去は過去としてもう封印して。

復讐のために書いていた文章も辞めて。

 

それでいいのかなと思いました。

 

なので、11月の東京の文学フリマを最後に、本を出すのを一旦辞めようと思います。

 

もしかしたら彼と別れて、それネタにまた本書くかもしれないから一旦って言いました!がはは

 

今まであったかい感想をたくさんありがとうございます。

本当に、本当に救われました。私が。

生きててよかったって思えました。

 

まだ香川とか何ヶ所か色々行く予定なので、すぐ全部辞め!とはなりませんので!

あと、残った在庫はメロンブックスさんにぶん投げる予定なので!

 

だから、もう少しだけお付き合いください。

大団円にしますよ!

あ〜、本書いててよかった!って、思いながら、筆を置く予定です。

 

何回も言うけど、本当にありがとうございます。

自分もきっと辛い時なのに、私のために、言葉を紡いでくれたみんなとか、本を手に取ってくれたみんなとか、新作楽しみって言ってくれてたみんなとか。

本当に本当に本当にありがとう。ありがとうございます。

 

泣きたくなっちゃうけど、いつかは終わることだったから。それに、おわりじゃないかもだから。

 

案外、前の本のことなんか忘れて、誰でも読めるような、のんびりしたエッセイ書き始めたりするかもだし。ね。

 

本を作る楽しさを教えてくれて、ありがとうございました。

 

一旦、一旦ね。ばいばいだけど、またブログ書いたり、イベントやったり、酒飲みの場に出てへらへらしたりします。

 

 

 

ありがとう。

”他人事”ということ

恋人が被災した。

 

2024年1月1日。

深夜、年越ししてすぐにLINEをした。

あけましておめでとう。

今年もよろしくね。

実家で過ごすお正月はどんな感じ?

そういえば、行きたいライブがあるんだけど一緒にどう?

 

そんなことをやりとりしていた。

 

あけましておめでとう。

今年もよろしくね。

実家では食べてばっかりです。

ライブ、一緒に行こうよ。

 

恋人は連絡がマメじゃないし、そんなに得意じゃない。

だから、こちらからもあんまり連絡しない。

お正月くらいいいかなって久しぶりにLINEして、珍しくはやい返信にニコニコしながら眠った。

 

昼前に起きて、朝ごはんを食べて、薬を飲んで、私一応コロナにかかってしまったので、とりあえず寝ておくか、と布団で横になった。

何時間もうとうとしながら過ごしていたら、携帯電話からすさまじい音が鳴った。

 

緊急地震速報だった。

 

あ、まずい。あわてて布団に頭ごともぐりこんで、腕で頭を守った。

幸い地震らしい地震はこなかった。

携帯電話を慌ててチェックした。

 

石川県で震度7

 

石川県?今恋人がいるのって、隣の富山県だ。

え?大丈夫なの?

 

災害時に個別連絡を取るのはタブーとわかっていたはずなのに、慌ててLINEを開いた。

 

『大丈夫なの?』

返事がなかった。

 

それはそれはもう慌てた。我が家にテレビがないからって、普段連絡を取らない母親に『災害放送どうなってる?』ってLINEした。Twitterでみっともないツイートをして、それを見た友達が何人か連絡してくれた。電話する?って言ってくれたり、不安だと思うけど、って言ってくれたり、みんなあたたかいなと思った。

そうこうしているうちに恋人から連絡があって、また慌ててLINEを開く。

 

地震やばい』

『高台の避難所にいます』

『一応大丈夫』

 

地震、高台、避難所、……めまいがしそうな文字が並んでいて、本当に、頭を抱えた。

 

色々聞きたいことはあった。なんなら今すぐでもとんでいきたかった。

もちろんそんなこと出来ないのだけれど。

 

『無事でよかった。スマホの充電くっちゃうといけないから一旦連絡やめるね。無事におうち帰れたらまた連絡してほしいな』

それだけなんとか打って、送信する。

 

返信がいつ来てもいいように、スマホの消音モードを解除して、一番大きな音量にした。そのまま布団でまた横になった。心臓が痛かったので、こんな時は寝たほうがいいと判断した。なにかあったら怖い、と思って、スマホに小さい画面でニュースを表示させていた。

うとうとするたびに、地震の通知で目が覚めた。LINEの音がするたびに飛び起きて確認したけれど、恋人からは『了解』を最後にまったく連絡が来ていない。

親友に連絡をとった。即レスとかしなくていいから、なにか、他愛もない話がしたいと言って。気を紛らわせようとした。精神科で処方されていた頓服の安定剤をのんだ。いつまでたっても連絡が来ないまま、23時を過ぎた。ニュースを見るのも精神的に限界がきて、ご飯でも食べようかと思ったけれど全然なにも食べられなくて、せめてシャワーだけでもと身体を起こそうとして、そのまま1時間が経った。

 

 

大学生の時に、社会問題に取り組む研究機関に所属していた。そこでの活動の一環で、被災地支援活動をしていた。

東日本大震災が起こってしばらくしてから宮城と福島に行った。茨城で水害が起こった時もみんなでバスを借りて被災地に向かった。熊本地震の時だって、1週間近く現地で泥かきをしたし、学校中から動物病院に送る物資を集めるキャンペーンをしてそれをすべてとりまとめをして、だって、そういうことをするのが、無関係だった自分にできる数少ないことだ、と。そして自分は災害時に平常心を持ってそういうことが出来る人間だと思っていた。

 

ところがどうだ。

 

今私は、自分の生活すらうまく出来ないほど、平常心を欠いている。

なにを思いあがっていたのか。自分は強いとでも勘違いしていたのか。

 

大きな自然のちから……災害を目の前に、ただ一人大切な人がいると、こんなにも身体が動かない。

結局のところ、私は今まで足を踏み入れた被災地をみんな、”他人事”だから。平常心で動けていただけなのだ。

そうでなければ説明がつかない。

ただ一人の人間が、避難所で寒い思いをしていないかなんて想像して身体が震えて動かないなんて、どこが強い人間か。

今まで出会ってきた被災地の人たちに、本当に心の底から、寄り添えたことがあったのか。やってきたことは無駄でエゴで偽善で、本当にやっていて意味のあることだったのか。

弱い人間だなと思った。地震が起こってからずっと具合が悪い。一人の人間の安否だけでこんなにも揺らぐ。大切な人が出来るのは怖いなと思った。過去に出会った被災地の人たちも、みんな誰かの大切な人だったのに、それに気が付かないで漫然と、向き合ったふりをしていた。

本当に、ごめんなさい、という気持ち。

謝ったって別に、どうにもならないのはわかってて、それでも心の底がぐらぐらと揺れる。

とにかく、私は一旦、私を取り戻さなきゃいけない。こんなことを考えていても、誰かがあたたかい夜を過ごせるわけではないのだし。

わかっていて、なにも出来ない。無力。こわい。本当にすべてが恐ろしい。

こうやって馬鹿みたいにブログで言い訳を述べることで、なんとか冷静になろうとして、そして許されようとして、本当に馬鹿みたい。

 

今できることを考えたい。今度は、他人事じゃなく。

 

花が咲くといいな

2023年、いろいろあった。

受験生を辞めた。

親と大喧嘩した。

一人暮らしを始めた。

受験をうまくやれなかった自分、親とうまくやれなかった自分、不甲斐ない自分。

毎日死ぬことばっかり考えていた。

本当は死ぬ前にやりたいことが沢山あった。読みたい本を大人買いした。海の見える宿を予約した。死ぬ前に皆に会いたくて、バーイベントを企画した。

どれも取り留めないことに見えるけど、結局は、死にたくないだけだった。

 

読みたい本を買うだけ買って、山積みにした。どれも諦めたはずの心理学の本で、あぁここまで愛せるものに出会えただけでも幸せなのかもしれない、と思った。

海の見える宿に泊まった。そのすぐそばの海で死ぬつもりだった。海辺に人が沢山いて、それを見てるうちになんだか泣けてきて、死に損なった。水族館に行って海鮮丼食べて帰ってきた。おいしかった。

バーイベントでいろんな人に怒られた。死ぬなら事前に連絡しろって言われて、そんな風に言ってくれる人がいてくれる人生ってあんまり捨てたもんじゃないのかもなと思えた。

家を出た。一人で暮らす家は小さいはずなのに広くて仕方なく感じて、毎晩泣きながら眠った。

愛さなければいけないのに、うまく愛せない人生だな、と思った。

そのうち一人でいることに耐えられなくなって、適当な出会い系で訳わからん男たちと会って家に帰らない日が増えた。

そんなこんなしているうちに、一人の変な人に会った。

出会い系で出会った私みたいな変な奴にやさしくしてくれる変な人。

その人にきちんと向き合いたいなと思ってるうちに、人に向き合うってなんだろうって考えることが増えた。

いろんな人と、いろんな話をした。

死にたいとか、泣きたいとか、苦しいとか、みんな抱えていて、でもそれでもみんな生きていて、生きるしかなくて。

生きるのがつらかった。人と向き合うのは正直怖かった。傷ついたところで、私に帰るところなんてないし、帰るだけのあの小さな部屋は私を抱きしめてはくれない。

仕事はうまくいかないし、眠れないし、食べては吐いたり気絶したりして過ごしていた。誰も心の中に入れたくなんてなかった。私を救えるのは私だけだって泣いていた。

 

本当はわかっていた。

そんなことして生きていけるわけがないって。

 

だって私が死のうとしたときに声をかけてくれた人たちは、愛した学問は、見た景色たちは、とっくに私の中にいるって知っていた。

 

出会い系で出会った変な人とセックスをした時に、どうしてこんなことをしてるのって訊かれたことがあった。

昔心の底から愛した人から、「君から女ってこととかセックスとかを取ったら何が残るの」って言われたから、一人でいるとその言葉を思い出して、って答えた。

変な人は今にも泣きそうな顔をしながら、そんなことないんだよ、とだけ呟いて私を抱きしめて頭をなでていた。別に恋人でもなんでもないのに、やっぱり変な人だなと思った。そう思ったし、こうやって私を抱きしめてくれる人にもっとちゃんと向き合いたいな、そんなことが出来たらいいなと思った。

 

人と向き合いたいと思った。本当ならそういうことが出来るのに、怖がって、やらないで、逃げてばかりの人生だった。

 

本当に、いろんな人と、いろんな話をした。

それなのに、いざ人と向き合おうとすると、話したいことがうまく出てこなかった。

伝えたくても伝わらなくて、苦しい思いをたくさんした。

でもそれ以上に、伝えようとしていなかったことにまみれた人生だった。

 

12月の24日に、例の変な人に交際を申し込んで、承諾を得た。

 

人に向き合いたいと思わせてくれたうちの一人と、そのスタートラインに立てた。

ここに至るまで、こう決意させてくれた人たちとも、もっと向き合って、対話を出来たらいい、いや、したいと思った。

 

泣く夜が減った。それはきっと多分、ここまで自分を見守って話をきいてくれた人たちが、私のなかにちゃんといるって気が付けたからかもしれない。

 

2023年、ありがとうございました。

みんなのおかげで、ここにこうして立っていられると思います。

 

立てなくなることもあるかもしれないけど、その時は、座って空を眺めながらでも、今度はみんなの話をきかせてほしいです。私はおしゃべりで、自分がしゃべってばっかりになってしまうこともあるけど、そんな私を笑ってたしなめて、懲りずに私に聞かせてほしい。みんなのこと。

 

 

来年もよろしくおねがいします。

なんかなぁなんだかなぁ

 

BAR凸凸に、元恋人を誘った。

前に、BARイベントに顔出してるんだよね〜と言ったら「楽しそう、行ってみたいな〜」と言っていたのをふと思い出したからだった。あとはまぁ、気まぐれ。多分、いや本当は下心もあった。なにか楽しいことにでも誘わないと別に会うこともないんだろうなと思っていたから。いや、もう別れたわけだし会わなくてもいいんだけれど。

そうしたら、予定ないから行く、と返事がきた。

なんでだよと思ったけど、誘ったのはこっちなので言わなかった。2人して馬鹿だ。

 

別に今更もう一回付き合ってほしいとは思ってなかったけど、なんかこう、うまく言えないけど、人との繋がりに縋りたい時期だった。もっとシンプルに言えば、寂しかった。それを茶化して、友達に「いや〜手コキだけでもさせてくんねぇかな」なんて言っていた。馬鹿だなぁ。私は何回私のこと馬鹿だなぁと思えば気が澄むんだろうな。

 

当日、入場して席について、酒を飲みながら、ちらちらと入口の様子を伺った。1杯目が無くなりそうになった頃、『21:40頃には着くよ』と連絡が入った。2杯目の酒を取りに行く。入口に後ろ姿が見えた。その瞬間、自分でも驚くくらいに心臓がうるさくなった。ときめきとかじゃなく、あぁ本当にそこにいる、という謎の感動に近い。偶然を装って振り返って、声をかける。

「受付、そこだよ」

「うん」

2杯目の酒を受け取って、知らん顔して席に戻る。

しばらく様子を伺っておこう、向こうも私にべったりされても迷惑だろうし。そう思ってしばらく酒を飲んでいたが、一向に動く気配が見えない。フードを注文するついでにもう一度様子を見に行く。

バツの悪そうな顔をしてコークハイを啜る彼と目が合って、笑った。

「なにしてんの」

「いや、俺めちゃアウェーじゃん」

「そしたらこっちの卓来る?前の雀卓でのんでるけど」

そんなことを話しながらカウンターに私が目を向けていると、彼に話しかける男性が現れた。

なんだ、私いらないか。

そう思ったらやっと心臓も落ち着いてきて、その場を離れるか少し悩んだ。けれど、結局その場に少し居座った。

話しかけてくれた男性が、私と彼に問う。

「お二人はTwitterの繋がり?」

「いや〜

なんで言い淀んでるんだよ。

「リアルの友達です」

そう言って誤魔化そうとすると、彼が吹き出して笑い出した。

「なにわろとんねん」

「いや!だってさぁ」

「あーもう、こいつ元カレ、元カレすわ」

「なんでバラすの!?」

「お前が笑ってるからだわ」

 

ばかばかしい。あーほんとにばかだ。やけくそになってる。何ヘラヘラしてるの。そう思いながら私もヘラヘラと、そこいらにいる友達に「こいつ元カレなんすわ〜可愛いでしょ」と言ってまわる。

 

そのあと、少し話をしながらちびちびとお酒をのんだ。

私は凸ノさんにシャンパンをおろす予定だったので、3人お酒がなくなったタイミングで2人をステージの近くに呼ぶ。

いつものシャンパンコール。コルクの弾ける音と華やかなシャンパンの香り。

2人はシャンパンを飲むと、そそくさとカウンター席の近くに舞い戻り、近くにいた男性客と談笑を始めた。

楽しそうならまぁいっか。

そう思って、主に彼を放置して私もその場を楽しむことにした。

男性3人と猥談に花を咲かせていると、いつの間にかすっかり酔っ払った彼と、彼に引きずられる形で最初に声をかけてくれだ男性が会話に入ってきた。

「めっちゃ盛り上がってるじゃん!なんの話?」

「めっちゃ酔ってるな

「そっちは酔ってないの!?」

2人で過ごした時にそんな酔ったことなかったくせにね、という言葉は飲み込んだ。見るからにみっともない酔い方。お酒にのまれているという表現が似合う。前から言おうと思ってたけど、君、声大きいよ。言おうとしてやめた。さっきから私、飲み込んでばっかりだな。

隣に私の友人が座る。彼は今日日あり得ないほどその人に絡んで、あからさまに迷惑がられていた。男同士とはいえ、普通にセクハラだなぁということも言っていて、嫌だなぁと思った。女の人ってどうせ顔や第一印象しか見てないよといじけていた。じゃあなに、私は君の顔が好きで付き合ったと思ってるの?そんな自信、どこから湧いてくるの。全然かっこよくないくせに。彼女を作る理由なんて、ステータスか性欲か、それか本当に好きかで、最初の彼女はステータスのために作ったと笑っていた。じゃあなに、それでいうと私は性欲のために作られたわけ?お酒でたくさんを流し込む。頭をくしゃくしゃと混ぜながら笑う彼をみて、意地悪な考えばかりが頭に浮かぶ。嫌な奴だなぁ私は。そのうち黙っていられなくなって、私もいやそれは違うとか、うるせぇお前射精できねぇくせにとか最悪なことを言う。

 

ポテトチップスを食べていた彼がふとこちらにその指を向け、私にも食べろと促してくる。私は無抵抗で受け入れる。

「付き合ってた時こんなことしなかったくせによぉ」

せめてもの悪態。可愛くない。

「こいつ付き合ってた時手も繋いでくれなかったんすよ、しかも、普段はまぁいいとして、ホテル行く数十メートルの距離もよ」

ここまできたら、もうこの人が、そして私がどれだけ嫌な奴なのか知らしめてやりたかった。地獄に堕ちてやる気持ちだった。

 

しばらくするとカラオケの時間になって、彼も私も12曲歌って、私は友達と喋り、彼はうとうとと船を漕ぎながら椅子に座っていた。

その後ろ姿をみて、あー、好きだったんだけどなぁ、と勝手なことを考えた。

多分、今でも嫌いではない。でも、もう、考え方や感じ方が、どうにも違うことをまざまざと見せつけられた気分だった。

それと同時に、なんか、もういいな。という諦め。それは彼を、という訳ではなくて、この世で誰かと愛し愛されることはもう無理で、私は結局のところ1人で生きていかなくちゃいけないのだ、と何故かその時思った。人である以上発生する、人と人の違い。私が誰かに愛を注ぐことはきっともう難しい。注いだとして、それが相手にとって心地よいもので、尚且つ、それをかえしたいと思って行動してくれるなんていう奇跡は、きっと起こらない。

 

そんなことを、眠くて揺れる彼の後頭部をみて思った。

 

あんまりにも卑屈で突飛な考えだけれど。

 

 

 

4時半頃、流石に帰るね、と立ち上がった彼を見送った。

見送った直後に電話がかかってきて、『番号札つけたままきちゃった、ごめん、これどうしたらいい?』と言う彼の元に走る。

新宿の朝、薄曇り、すえた臭い。

「ごめんごめん」

「いいよ、返しておくから。気をつけて帰ってね」

「うん、またね」

顔の高さまで挙げた手を握って、握手をした。細くて冷たい指だ。

もう2度と、こんなことは起こらない。

 

寂しいな、と思った。

でも、私の人生って、たくさん話す人がいて、時々こうやって握手をしたり、もっと時々抱きしめたり、抱きしめられたりする。そういうことが起こる程度には満たされた人生で、そろそろ"その程度"に満足するしなくちゃいけない日が、くる。

 

お店までの帰り道、少しだけスキップをして、すぐやめた。

明日ももう今日か、楽しい予定がたくさんある。

そのことに満足する、出来る、自分。

ある意味幸せなのかもな。

私のバケツはからっぽなんじゃなくて、少しだけ人より形がわるいだけなんだな、と思った。

 

お店に帰って、ドアを開いたら、なんだか全部どうでもよくなって、私は私の幸せに帰っていく。

 

 

 

今日のこと、明日のわたし

予備校を辞めることになった。

つまり、受験をやめることになった、というわけである。

 

ここ一年、いや、中学生の時にカウンセラーという仕事に出会ってから、ずっと夢だった大学院。

やろうと決めてからは長かったのに、やめることになってからは一瞬だった。

理由は、まぁアラサーにもなってみっともない話だけど、金銭的な理由ともう一つ、親が私を家から追い出すことにしたから、現実問題として無理になってしまった。

 

「お前、自分の立場わかってるの?」

「はっきり言って迷惑だから」

親のこの一言で、正直な話こころがぽっきりと折れてしまったのもある。

そんなわけで、残りの貯金を使って家を出ることになった。

幸い、パートとして働いている今の職場から「また正社員に戻って、ここで毎日働いてくれたらいいのに」「すぐには用意出来ないかもだけど、正社員の枠は必ず用意するから」と言ってもらえていて、なんとかなりそうだし。

仕方のないことだ。全部。

死に損なった私の末路である。不思議と悲しくない、というか、ぼんやりした気持ちだった。

 

最後に予備校の先生に挨拶だけすることにして、新宿に降り立った。1年間通い続けた道をぼんやりと歩きながら、なんて言うのが正解なのかなと考えた。

1番お世話になってた先生には恥ずかしくて会えなかった。顔向けできないな〜と思って、2番目にお世話になってた先生にだけ、ことの顛末を伝えることにした。馬鹿だなぁ見栄っ張りだなぁと思ったけど、仕方ない。

 

「家の都合で、受験、やめることにしました」

「話聴いても大丈夫?」

「あ、はい。いや別に、大したことないんですけど、今実家暮らしで、親に家追い出されることになったので、その影響で難しいなって」

「うん…相談、じゃなくて、もう報告なんだね」

「こればっかりはどうにも出来ないので…」

「そっか。」

先生は少し俯きながら、でもはっきりと、「一度自分の生活を手に入れて、仕事して、自分と向き合って、それでもまだやりたかったら、戻ってくるなり、別の方法を探すなり、なんでもありますよ。」と言った。

「"心理学"が自分にとってなんなのか、ゆっくり見つめ直しが出来ると思うし、仕事の経験は無駄じゃないと思う。だから、悲観的にならないでね。」

「あ、でもカウンセリングと病院は続けた方がいいと思う。」

「とにかく、そばに居られなくても、私はあなたを全力で応援していることを忘れないで。」

時間にして15分程度だったけど、先生が、とにかく急いで全てを伝えようとしてくれているのが伝わってきて、少しだけ泣きそうだった。

でも先生はこの後すぐ授業があるので、あんまり気を遣わせるのも悪いなと思って、笑って予備校を後にした。

 

その後うとうとしながら電車にゆられて、日比谷公園に向かった。大学時代の友達と花を見に行く約束をしていた。お昼ごはんを食べ損ねていたので、公園内のコーヒーチェーンに入ってホットドッグをかじった。

「今日も授業終わりに来たの?」

「あー、予備校やめた。受験もおわり」

「は?」

「いや、じつはこうこうこういう理由で」

「なにそれ、カス子ちゃん、あれだけ頑張ってたのに、そんな」

「いやまぁ仕方ないよ、幸い仕事には困らなそうだし、ラッキーだわ」

友達は納得いかなそうな顔で手元のコーヒーを睨んでいた。

花壇に向かったけれど、時期が遅くて、チューリップは全て散っていた。それを見て笑いながら、ベンチでメロンソーダを啜った。

「引越しだけじゃなくてさ、困ったこととかあったら、相談してね、とりあえず引越しは手伝うからさ、その後も」

「うん、ありがとう」

優しいなと思った。優しい。みんな。

3月の間に、私が受験ぜんぶ失敗した後に会ってくれた人たちを思い出した。

出会って2日なのに、帰り際に私を抱きしめて心配してくれて飲み屋のご夫婦とか。とりあえず肉食いに行こ〜と声かけてくれた大学の同期達とか。ネットで知り合ったみんなとか。私がヤケクソで「BARイベントやります!」とか言ったら集まってくれたみんな、行けなくてごめん!と連絡をくれたみんな、後日「行きたかった!またやって!」と言ってくれたみんな。私の様子がおかしくて、あわてて電話かけてきた元恋人とか。まだ人生長いからどうにでもなる!って笑ってくれた職場の人とか。

あったけぇなぁと思った。

 

友達と別れて、でも家に帰りたくなくて、クソみたいなアプリで知り合った男と連絡をとりあって、待ち合わせて、カラオケボックスに入った。男の人は至って普通の、なんなら誠実そうな人だった。なんとなく上辺だけの話をニコニコして、そのままホテルに行った。

服を脱いだら、下着に血がついていた。生理だった。5日も遅れていたので、その存在を考慮していなかった。

しまった、セックスが出来ない、怒られる、と思い咄嗟に謝った。

「ごめんなさい…これ…その…」

男の顔を見ると、なんで謝ってるんだろう、という顔でこっちを見て、手を引いて私を風呂場に連れて行った。風呂場は背後が全面鏡張りで、そこで自分の顔をよく見たら左目の下に一筋、涙が流れてファンデーションが落ちているのが見えた。いつ泣いたんだっけ、私。

セックスらしいセックスをせずに、結局布団でくだらない話をした。お互いろくに名前も名乗っていないのに、私はやれ人生ままならねぇみたいな話をしたり、相手は相手で、会社に好きな人がいるのにその人は既婚者で〜みたいなしょうもない悩みをつらつらと呟いて、お互いしょうもね〜!とばかみたいに笑って叫んだ。その間、男はずっと私のお腹をさすってくれていた。

 

3時間経って、服を着て、駅に向かう。流石に帰らないとまずい。

改札の前で男は私の手を握って、「楽しかったよ、またね」と笑った。

良い人だった、その罪悪感で胸がいっぱいになって、電車に揺られながら、またやってしまった…と自分を少し嫌いになった。

人を使って自傷行為に耽ろうとして、結局その人に優しくされて反省する。毎度のパターンだった。もうやめよう、もうやめよう、毎回思うのに上手くいかない。

人を大切にするのって難しい。

どうしたらいいんだろう。

家に帰って、メイクをおとして、シャワーを浴びて、夜ご飯を食べ損ねていたことを思い出してうどんを茹でた。

人を大切にしたいなぁ。

みんなが私を大切にしてくれたように。

そのために何ができるかなぁ。

 

うどんは茹ですぎて、歯応えなんてまるでなかった。

とりあえずゆっくり眠ることにする。

難しいことは、朝起きてからまた考えよう。

 

電気を消して、今、この記事を書いていて、終わったら目を瞑る、きっと。

その時に瞼の裏に映る人達は、きっとみんな大切で、大好きで、それでいて優しい。

私もいつかそっち側にいけたらいいのにな。

おやすみなさい。

ありがとう。

だめだったら、もうおしまい。

明日、大学院入試の、本命の試験がある。

ブログを書いている場合じゃないだろって笑ってほしい。でも、それでも私は誰かに聞いてほしかったのよね。

 

もうⅡ期だけで5校は受けた。

全部落ちた。笑っちゃうね。

一次の筆記試験通ったのに、面接で落とされたところも少なくない。

理由は単純で、私はとにかく口を滑らせるから。

「どうして大学院に?」

「小さな頃からの夢で」

こう、バカ正直に答えなくていいのに、言ってしまうのだ。

小さな頃から大学院行きたい奴なんてそうそういないんだから、と予備校の講師に相談した時に笑われた。

言われりゃその通りである。

「小さな頃から心理学を生業にしたいなんて変わり者、なにか大変なバックグラウンドがあるんだろうなって思われちゃうから、そこは、今の仕事をしていて問題意識を〜とか言うといいよ」

と講師は笑って言ってくれた。まぁ全部落ちたあとに言われてもなんですが…いや相談しにいくのが遅かったか。まぁ後悔しても仕方ない。

 

小さな頃から、心理士になりたかった。

いわゆるカウンセラーというやつだ。

こころの専門家になりたかった。

それしか私には残されていなかった。

 

小学生の頃からずっといじめられていた。

学校の先生も、家族も、「あらあら」なんて笑って見てるだけで、助けちゃくれない。小さな子供のやることなんかみんなおままごとなんだろうな。

中学生の時も、嫌がらせを受けていた。

それに関しても、誰も助けてくれなかった。

死ぬしかないな〜と漠然と思っていたし、それしか道はないんだろうなと確信めいたことを考えていた。

その時、唯一、私に声を掛けてくれたのが、塾の先生だった。彼は大学生で、まぁ所謂アルバイト講師だ。

それなのにいつもいつも、私が暗い顔をしているのを見つけて、狭い教室で「うんうん」と話を聞いてくれた。

 

それだけで、「まだ生きれるかもしれない」と思った。

 

私を怒鳴り蹴るうつ病の母親。

カルト宗教家の父親。

所謂学習症の弟。

人に頼るなと喝を飛ばす祖母。

アルコール依存症の祖父。

保護者も一緒になって嫌がらせをしてくる部活の皆。

出来損ないと詰る担任。

 

毎日机を黒く塗る私。

 

塾にいる時だけ、なんとか呼吸していたみたいな生活だった。

でも、こんな人がいてくれるなら、なんとか生きていけると思った。

卒塾式、先生から手紙をもらった。

 

『君は人よりも孤独を知っている人だから、人に寄り添うことがきっと出来るよ!』

 

人に寄り添うってなんだろう。

わからないから本を読んだ。国語だけは好きだったから。図書館や図書室に入り浸って、あれこれ色々と本を読んで過ごした。

 

そこで偶然見かけた、『13歳のハローワーク』という本。

あるページに、「カウンセラー」と書いてあった。

 

これしかない、と確信した。

私の人生は、これになるためだけに、続くのだ。

そう思った。

 

勉強は苦手だった。持ち前の発達障害で集中力はないし、暗算なんて1ミリも出来ない、英語は全部文字がふわふわ浮いて見えるし、どうしてもそれが日本語と結びつかない。

それでもなんとか高校は卒業して、大学に行った。

カルト学校に入れたい父親から逃げるために引っ越した先にあった大学。そこしか選択肢は与えられなかったけど、運良く心理学科があった。

なんとか合格して、毎日心理学だけを勉強できる日々が始まった。本当に、運が良かった。私は国語だけは出来たから、本から論文からいろんなものを読みまくった。好きなことだから、と、死ぬ気で、今までの不足を取り戻す気持ちで勉強した。成績はかなり良かった方だと思う。英語だけはどれだけ頑張ってもCだったけど。

このまま院に進んで、まだまだたくさん勉強出来ると思ってた。

20歳になった。

「子育ては終わりだから、あとは好きにしな」

言い捨てられた。

私はこの頃にはもう卒論の準備をしていて、なけなしのアルバイト代など全て研究費用に充てていたから、貯金なんてなかった。

今言うなよ、と思った。もっと早い段階で言っててよ。あと、じゃあなんで、この前まで、19歳までバイト禁止にしてたの。

奨学金について調べた。まだ両親は籍が入ってた。

父親はカルトに金を貢げる程度にはお金持ちで、条件から外れていたみたいだった。

私はバカで、なにか抜け道がないかって母親に、調べてみてよって泣きついた。

「あんたまだ学生やるつもり?私いつまで子育てしなきゃなのよ」

カウンセラーになれないなら、大学院に行けないなら、もう死ぬしかないと思った。

そんな中で、私に声を掛けてきた、今考えれば危ない大人にのめり込んだ。

身体も、なけなしの貯金も渡した。

でも何かでこの世に繋ぎ止めておかないと、吹いて消えてしまうと思ったから。

私の様子がおかしいのに気がついて、ゼミの先生が、「しばらくゼミだけでも休もう、大丈夫だから」と声を掛けてくれた。

空いた時間にその悪い大人に会いに行って、私を消費してもらっていた。

死ねばいい、死ねればいい、と思いながら、それでも電車に飛び込むのが怖くて、電車を何本も見送って泣いた。家に帰っても、猫が鳴いてるだけで、誰も私を抱きしめちゃくれなかった。

死に損ねたままてきとうに就職して、てきとうに働いた。実家から通っていたので、一年で百万円貯めた。働きすぎて失神して倒れて、そのまま精神科送りになった。薬なしでは何も出来ないからだとこころになった。

結局限界がきてそのままその仕事は辞めて、次の仕事もうまく行かなくて半年で辞めて、もう色々ダメかもなと思った。運良く元バイト先のひとが声を掛けてくれて、半年かけて資格を取って再就職した。

もうこのままてきとうに生きていくんだろうな〜と思った。働かなかった期間で、百万円はなんやかんや二十万円になった。結婚の予定もないし、夢もない、このままゆるやかに死んでいくんだな。金ないし。

 

「お前、大学院行きたいって言ってたの、どうすんの」

 

大学の同期と酒を飲んでいた時だった。

「そんなの無理だよ、金ないし、あたま悪いし」

「わかんないじゃん、金なんか貯めりゃいいんだよ、あたま悪いとか言ってるけど、大学ではそんなことなかったし、今から勉強すりゃ間に合うよ」

「…」

「ゼミの先生、まだLINE残ってるだろ、今ここでLINEしろ。大学院行くのになにが必要ですかって、相談しろ、今すぐ、今から準備すればいいよ」

どうせ返事来ないし、忘れてるよ私なんて、そういいながら、ダメ元でLINEを送った。

次の日、返事がきた。

『ずっと心配していました。大学院にいきたいと言うのも、諦めてしまったのかと残念に思っていましたが、強く引き留めることも色々事情もあるだろうし難しいと思いまして。』

教授の言っていた専門書、お金がなくて2冊だけ買って、それを毎日読んだ。

仕事が忙しくて勉強出来ない日もたくさんあった。

一年で百万円貯めてたのが嘘みたいにお金は貯まらなかった。転職して、時間にゆとりのある仕事になったから。三年かけて、二百万。手取り十五万しかなくて、それでもこつこつ毎月積み立てた。ボーナスも全部。お給料が十三万を切った時、悔しくて泣いた。泣きながら施設長に直談判して、役職をもらってなんとかお金をもらった。その分仕事は増えた。勉強する時間はどんどんなくなった。それでも本は読んだ。少しだけでも。精神科に入院したこともあったし、途中やっぱり諦めて自殺しようとも思った。でも出来なかった。進み出した以上、止まらなくなった。

 

去年やっとお金が貯まった時、嬉しくて大泣きした。

これでやっと受験が出来る。

予備校に申し込んだ。仕事はパートに切り替えた。正社員じゃ予備校に通えないから。

勉強を始めて二ヶ月目、ストレスと、眠気覚ましのカフェインが原因で大腸炎になって入院した。

恋人が出来て、別れた。

どんなことがあっても、泣いても吐いても、毎日は過ぎるし、受験まで時間はいくらあっても足りなかった。

 

そんなこんなで迎えたⅠ期、全滅だった。

ペーパーテスト突破すら出来なかった。

笑っちゃった。死ぬしかねぇ。

 

それでも予備校の講師に泣きついて、なんとか、Ⅱ期の準備をしてきた。

 

それがもうそろそろ、全部終わり。

これがダメだったら、本当に自殺しかないなって毎日泣いている。

本当は死にたくない。

大学院に行きたい。

私にだって夢があった。

キャリアは捨てた。恋人に捨てられた。

連絡取れなくなった友達だっている。

それでもやりたいと思えることが一つだけあった。

 

「まだ合格させてやれなくて、本当にごめん」

予備校の講師が言っていた言葉、情けなくて不甲斐なくて申し訳なかった。

 

明日、とうとう本命の試験。

一応、その後にもう1校だけ試験が控えている。

正直自信はない。

ペンだこばっかり大きくなって、それなのに回答はイマイチな答案ばっかりで。

 

それでも、とりあえず。

 

死ぬための片道切符と宿は用意したんだ。

そこで死ぬのも、私らしいかなって。

 

まぁ死ぬこと考える前に、まずは試験ね。

いってきます。今日は少し早いけど、寝ます。

ダメだったらみんな、「お疲れ様」って笑いながらお酒とか一緒に飲んでね。私が死ぬ前にさ。

君のその道の先に。

AV監督の二村ヒトシさんと、お話をさせてもらった。

二村さんとは高橋がなりさんの「まえむき人生相談」という企画で知り合い(というか、私が二村さんの本のファンで、ぜひ話を聞いて欲しいと相談をお願いしたのがきっかけだが)前の男にめちゃくちゃにされた時に人生相談をお願いしてから、なんやかんや年に一回くらいのペースで、人生相談の企画でお話させてもらっている。(詳しくは「まえむき人生相談」で調べよう!)

毎年毎年「今年こそいい報告するぞ!」と思っているのだが、前の相談の時は「色々あって好きだった男とヨリを戻しちゃった(なお付き合ってない完全に都合いい関係)んですけどどうしよう〜!」とかほざいていたし、今回は「恋人出来た!と言おうと思って申し込んだのに捨てられちゃいました!」というザマなので、なんというか。

報告内容が変わった時点でブログのURLを送りつけて「こうこうこういうことがあったので」と言い訳していたのだが、二村さんは忙しい身なのにブログを読んで、「いい文章」とまで言ってくれていて、この時点でかなり舞い上がっていたというのが本音である。


部屋のドアを、事務局の人が開いてくれた。

部屋の中心に座る二村さんに挨拶をして、対面で座る。


「いや〜彼は惜しいことしたね!?」

もう、その一言で全部が報われる思いだった。


色々な話をしたけど、これはもったいないから内緒。

でも、その中で、彼の"弱さ"についての話があったのでそれだけは記したい。

私なりの復讐みたいなものだ。


彼は、側から見て、所謂「男らしさ」からはかけ離れた人間だった。背が小さくて、痩せていて、バリバリ働くタイプでもないし、学歴もいい方じゃない。言い方は悪いかもだけど。

でも私は、彼が所謂男らしさに縛られず「俺らは対等だよ」と私に言っていてくれたところを居心地良く感じていたのは事実だ。

でもその一方で、意志が弱いというか、依存癖のある私に気を遣って、それでいて「あきらかに男らしさに支配されている『会社の先輩』という存在」に気を遣って、「男らしさを身につけなきゃ」と思っていたのも事実だと思う。

彼は接待で先輩によくガールズバーなんかに連れて行かれていた。そこで、やれ垢抜けろと言われ、実際にそれに応えたいとイメチェンをしたり、やれ女の子の扱いはどうこうだみたいな話をして、実際私との最初のデートなんかはそういうノウハウを教えこまれて実践していたみたい。

社会が求める男性像。

社会に求められる男性像と本来の彼は乖離していたと思うし、彼の中に両立させるのは大変なことだったと思う。いや、これはもう、私と二村さんが話しながら想像していたことなのでなんとも言えないが。

私は前の記事に記した通り、依存性パーソナリティ障害である。細かなことを決めるにも、人の意見を貰わないと不安で不安で仕方ない気持ちになる。

彼はそんな私を前にして、いつも「リードしなきゃ」と思っていたと、今振り返れば思う。

でも、それ自体が問題だったというよりも、問題は、この先。

これも前の記事で書いたが、彼はセックスが下手というか、多分苦手だった。性欲がないわけではない。ただ、セックスを通して男らしさを求められるのが大変だったんだと思う。だからとは言わないが、私がほんの少しリードしている場面が時々あった。

私はそれを「楽しい」と感じていたし、彼が男らしさから離れて可愛らしい顔を見せてくれることを嬉しく思っていた。

ここで問題となるのは、前で述べた通り。彼の中の「男らしくありたい」と「対等でありたい」がアンビバレントな形で存在していた、ということだ。

私は、「デートは彼がリードして、セックスは私がリードすれば、バランスがとれてるじゃないか」と呑気に考えていたが、多分彼は「デートもセックスも俺がきちんとしないと」と感じていたんだと思う。


苦しかったろうな。


彼は所謂アダルトチルドレンだった。家の中はぼろぼろに崩壊していて、過保護な母親から「物理的に距離を置く」という形で自分を守った。


彼の自分を守る謀略は、距離を置くこと。


私と一緒にいて、アンビバレントな思いに苛まれた時に、真っ先に選んだのも、距離を置くことだったんだろう。

でも私を完全に失うのも怖くて、友達になりたいなんて言ったのかもしれない。わからないけど、そうであって欲しいかな、なんて。


自分を守るための方法が「物理的に距離を置く」、それをとっ捕まえて「そんなのは逃げだよ」と言うのは、あんまりにも残酷だ。


それに、今の彼が幸せだったなら、逃げることだって全部正解なんだから。


距離を置いて、逃げて、走っていった先になにがあったのか、いつか私に教えてほしいな、と思った。


少し遠くを見つめながら、ここにいない彼のことを、ああでもないこうでもないと、二村さんと話した。




「彼のことを愛する努力は出来た?」

二村さんが私に問いかける。

少し悩んで、「はい」と答えた。

今までの私なら「わからない」と答えていたと思う。

「私、これ、ブログにも書いたんですけど、彼が私の幸せを願ってくれてるんだって知った時に、彼のこともっと知りたいと思ったんです。今まで、「私のことを知って」「私を愛して」って形でしか寄りかかれない人間だった私だけど、でも、彼がどんな人なのか、もっと知りたいと思えたし、これから知っていけるだろうと、まぁ胡座をかいていたわけなんですけど、そう思ったんです。」

本当はこんなスムーズに話せていない。吃りながら、詰まりながら、でも、彼が"特別"だった事実を伝えたかった。


「それってさ、すごい出来事だよ」


二村さんが答える。

「誰もが経験できることじゃない、むしろ経験出来る人は少ないと思う」


私は、私と彼の間には何もなかったんじゃないかと不安に思っていた。

けど、そんな不安も全部まとめて誇らしいと、この時すごく感じられた。


そこに"特別"はあった。絶対に。お互いに。


彼は私といることで、心の中の不協和が刺激されてしまったんだろうなと思った。それは幸せなことではなかったかもしれないけど、向き合うには苦しいかもしれないけど、でも、それも特別だったと思う。


私は彼と出会って、自分以外の人間に目線を向け、感じることを知ったのだと思う。

すごく楽しくて、嬉しくて、幸せな経験だ。もちろんそれだけではなかったけど、誰かと生きたいと思うことの難しさを感じることもすごくあったけど、でもそれ以上に、幸せだった。


彼にその経験をしてもらえなかったのは悲しいことだけれど、これは彼と彼の心の穴の問題だ。

私がどうこう言える立場にはもうない。

いや、そもそもこんなブログを立ち上げて、どうこうこねくり回すのがナンセンスなのだけれど。


本来なら1時間で終わるはずの相談時間を大幅に過ぎながら、二村さんは根気強く私と彼の話を聞いてくれた。それだけでなくて、「楽しいよ」と、二村さんは毎回私と話す時に言ってくれる。救われた気持ちになる。私のこのくだらないあれこれを、そう言ってくれる人がいて。まっすぐこっちを見つめて、「僕も君の幸せを願ってるよ」と言ってくれて。嬉しいことだし、少しもったいないくらいだとも思う。


「変わったね」と二村さんに何度か言われた。

二村さんと最初に出会った頃を思い出す。

クソみたいな男にいいように扱われて、でも自分が被害者であることに依存して、自我なんてどこにもなくて、でも一丁前に「愛されたい」だけは主張して。ドロドロにとけていた。意識が。意志が。意思が。それでいいと思ってた。


彼と出会ったばかりの時も、そうだったと思う。

意志がない、弱々しい、そんな人間ですみたいな顔して君に近づいた。

でもそんな私に対して君は、対等だよって言って笑ってくれていた。

多分、それで目が覚めたんだと思う。

この人は、私を人間としてみてくれているんだって。

だったら、それに応えなきゃって。


変わったんじゃなくて、変われたんだと思う。


私の担当カウンセラーの言葉を思い出した。

「今までのドロドロした人間関係じゃないから、きっと、きちんと立ち直れるよ。でも傷は傷だからね。」


終わりの時間になって、二村さんと別れた。

毎回窓口になってくれている事務局の人が「これで解決して、会えなくなってしまうのは少し寂しい気もします」と笑ってくれた。

私は事前にこの人に「恋人ができたのでいい報告しに行きます!」と言ってしまっていて、それでそのあと別れたことは連絡していなかったので、これで終わりだと思ったんだろう。まさかまた懲りずに悩んでたんですと言うのはかっこ悪くて、「また来ます、絶対」と笑って誤魔化した。


帰り道、降っていた雨はやんでいて、音楽をてきとうに流しながら歩いた。


『あなたが 嘘をつかなくても 生きていけますようにと 何回も何千回も 願っている』


そんな歌詞を口ずさみながら、今日は夕飯何食べようかな、とか、そんなことを他愛もなく考えた。


帰りの地下鉄、沢山話したからか疲れて眠ってしまった。眠りながら、君の家に向かって電車に揺られる時間を思い出した。すごく短い距離なのに、まだかなっていつも心踊ってた。幸せだったな。駅で待っててくれる君の姿を見つけた時のあの気持ちとか、多分ずっと忘れない。



私のこと、見つけてくれてありがとう。

心の穴を刺激しちゃってごめんね。

でも私は楽しかったし、嬉しかったし、幸せだった。

君はそうじゃないかもしれないけどさ。

いつか、君が走っていった先になにがあったのか教えてほしいな。

他の誰かと幸せになったとかでもいいし。

まぁ、ちょっとだけ悔しいけどさ。

君が幸せならそれでいいや。教えてよ。

だめかな。





これで君の話は全部おしまい。


ありがとう。




君が幸せを感じて生きていけますように。