売買春は罪だから、私はきっとずっと罪人。

 

 

性風俗を、半年に一度くらい利用する。

理由としては、「疲れるから」。

性風俗を利用するのが疲れるからではなくて、日常生活に疲れるから。そして、男性との性行為に疲れるからだ。

私はシス女性(心も身体も生まれつきの女性)である。

つい最近まで、恋愛対象も性的対象も男性のストレート女性だと思い込んでいた。

まぁこれは正しい言い方ではなくて、「本当はパンセクシャルなのだけれど、この世の中で真っ当な人として生きていくには男性と番になった方が絶対都合がいいから」という理由で男性をメインターゲットに番を探していた。

お天道様の下で手を繋いだりキスをしたり、堂々と歩くには、結局男女という縛りから逃げるのは億劫だった。

そんなことを言いつつ、性風俗を利用する時は決まって女性を指名した。いわゆるレズ風俗というやつだ。

インターネットをしていると、時々「性風俗を利用する奴はキチガイ」「性依存でしかない、治療して表に出てくるな」「人身売買を行う犯罪者だ」という意見が目に入ることがある。

 

どれも正解だな、と私は思う。

 

私はキチガイで性依存で犯罪者だな〜と思う。

 

別に反論しようとも思わない。だって事実だし。ただ、悲しいな〜とは思う。被害者ヅラすんなって話ではあるが。

私が利用する性風俗は、タチ女性派遣専門風俗で、簡単に言えば女王様が来てくれるサービスだ。もうかれこれ27歳の時から利用しているから、4年くらいになるのだろうか?虚しいことである。

 

男性と番になりたかったのか?と言われると、どうなんだろう、と今更ながら思うことが増えた。

だって、男性と一緒にいる時の私って、いつも楽しくなさそうな女だし、病むし、セックス以外で愛情が測れない割にセックスでこころがいつでも消耗している。

馬鹿馬鹿しい。

その点、風俗を利用している時の私は全てから解放されている。

「こうあるべき」「ああするべき」から解き放たれて、身体を痛めつけられている時間は、何物にも変え難い。

私は多分根っからのマゾというわけではないのだけれど、例えば鞭で身体を打たれた後に「頑張ってえらいねぇ」と身体を撫でられる瞬間とか、蝋燭の熱で身体の境目が解らなくなる瞬間とか、そういう瞬間に、「あぁ自分はここにいたんだ」と思う。そう思う瞬間が、私にはどうしても必要だと思う。

 

性風俗を理由する人間はキチガイだと言い捨てられる人たちはある意味ハッピーなのかな?と思うことがある。

だって、私はお金を払わないとそうやって(性的に)「自分がここにいる」と思える瞬間がないのだから。その人達はきっと、どこかで真っ当な形で欲望を満たしているのかなぁ。それとも、それがなくとも生きていけるのかなぁ。羨ましいなぁ。わからないけど。

 

性風俗を利用する私を罪人だと蔑みたいなら蔑めばいい。愚かな性依存だと言いたいなら言えばいい。と、強く言い切れるほど私は強くないので、仕方ないけど「私って罪人かぁ」と思いながら生活をしていくしかない。

 

このサービスが正式に違法なものになったら、もしくは、私が定期的に使えないくらい困窮したり、国が、生活がそれどころではなくなったら、と思うと、どうしたらいいのかな〜とぼんやり考える。

 

考えたとて、罪人は罪人だし、どうにもならないのかもしれないなぁ。

 

 

こんな夜中に思い出す。

 

 

夜中に思い出す人がいる。

大抵は昔付き合っていた人たち。

 

最近とても精神的に調子が良くて、幸せに過ごしている。

でもそうやって過ごしていると、ふと、過去に私が傷つけてきた人たち、傷つけられてきた人たちのことを思い出す。

 

もっとこうしていたらよかったなぁとか、

あんなこと言わなければよかったなぁとか、

あんなこと言われる筋合いなかったよなぁとか、

思い出すことは色々なんだけど、

でもどれも、「あの時の私にはあれが限界だったけど、それでももっと、もっと優しく出来たはずだったのでは?」に帰結する。

 

もちろんそんなことはない。

バタフライエフェクトなんてないし

あの時の私にはあれが最善で且つ限界だった。

 

だから今更なにを言うでもないし、するでもないんだけど。

それでも思い出すものは思い出すし、それで「あーなんか、どうにか出来たらよかったなぁ」とも思う。

 

最初の恋人についてだったら

「あんまりお前、私を舐めるなよ」と言ってやればよかった。

 

髪の長いあの子に対してだったら

最後に「人里に降りてくんな」なんて暴言吐かなきゃよかった。

 

遠距離の独身詐欺野郎に関してだったら

「別れた理由を私のせいにすんな」って叫べばよかった。

 

なんか、そういうことを思う。

 

精神的にこんなに落ち着いていても、こんなことを思うのだから、よっぽど心残りなのか、はたまた心に余裕が出来たからそう思うのか。

 

わからないけど、とにかく夜中にそんなことを思う機会が増えた。

 

別にそれで泣いたり喚いたりしないんだけど、でも。

 

それなりに幸せな行末を祈りつつ、私みたいなやつに出逢った不幸をざまぁみろと笑ったりする。自虐とかじゃなく、ね。

 

夜中に思い出して、その人たちの輪郭をなぞった日を思い出したりして、そうやって多分私は生きていくんだろうけど、それが案外寂しくなくって、結構楽しかったりする。

 

 

もっとはやくこんな私になれていたら、あんなに傷つけ合わずに済んだかなぁ。とか言いながら。

 

ながい夜がそろそろ終わる。

 

 

『同じ夢をみる』

最近、呼吸がし易い。

恋人が出来たわけじゃない。

親と和解したわけじゃない。

転職したわけじゃない。

生活が激変したわけじゃない。

 

でも最近、なんだか生活が愛おしい。

 

 

 

先日、友達3人と私とで、寂れた郊外の公園に行った。

 

その公園には川が流れていて、「川縁で石磨きをしたい」という、誰ともない願望にうってつけだったからだ。

 

友達3人とは、2024年から定期的に集まっている仲だ。

元々は4人と私の全5人グループだったが、1人はグループを抜けてしまって、今は4人。

インターネットで出会った友達。みんな優しくて、私はみんなと会うのがいつも楽しみ。

 

その日は、オリジン弁当でお昼ご飯を買って、百円ショップで買い物をして、アイスを食べ、公園の芝生でお弁当を食べ、石を磨いて、私は早々に石磨きに飽きてぼんやりしたりして、隣り合わせたネパール国籍?のグループさんに何故かBBQを分けてもらったりした。

 

川で石磨きをした後に、デニーズでデザートを食べながら「今度キャンプしよう」って話をした。キャンプで炭臭くなったらそのまま温泉に行ってあかすりもしてもらっちゃおうなんて言いあったりした。

でもさ、キャンプにスキンケア用品持っていくの面倒だね。

1人がまとめて持っていく?

じゃあみんなでキャラの模様のパック買ってみようよ。そんで集合写真撮ろう。

いいね、どこで売ってるのかな?ドンキ?

せっかくならドンキまで歩いていく?

山手線、歩きで周ってドンキ目指しちゃう?

やっちゃうか!

 

デニーズを出て何軒かの薬局でキャラパックを探しながら、そんなことを話した。

(実際、後日山手線を半周歩いたのは別の話。)

 

帰り道、ローカルな不動産屋を見かけて、

「ちょっと表に出てる物件見ていこうよ」ってふざけて笑っていた時、

その物件の中に、面白いものを見つけた。

 

『6LDK 駅から徒歩10分 駐車場完備 家賃10万円』

 

「家賃10万円で6LDK⁉」

「みんなで住めるじゃん!」

「1部屋客間で、1部屋リビング兼図書室出来るよ⁉」

「しかも4人だから1人2.5万円!」

 

初夏の夜だった。

半袖だと少し冷えるような。

 

この瞬間、4人が同じ夢をみた気がした。

気がしただけで、私の気のせいかもしれない。

でも、そう思えたことが幸福だなぁと思った。

 

多分、あの物件を実際に借りる未来はちょっと遠い。

みんなのそれぞれの現状やバックグラウンドを考えると難しいことだと思う。

でも、そんなことはどうでもよかった。

あの瞬間、友達4人で、叶うことがないかもしれない夢をみて、

4人でニコニコと時間を共有したこと。

 

そのことが全部で、そのことだけが尊いなと思った。

 

 

私は結構、精神的に弱くて、

恋人がいないと精神的に参ってしまうタイプの依存症人間で

毎週訪問看護さんがやってくる程度には病人だし

薬の量は別に減ってないし

カウンセリングの回数も減ってないし

 

でも、その夢をみた瞬間から、

私にもちゃんとかえる場所があったんだなぁと思うことができるようになって、

呼吸が大分し易くなった。

 

大事な人達と、同じ夢をみれる。

その夢が叶わなくても、笑って明日を迎えられる。

 

そのことの尊さに気が付けたということ。

 

 

後日決行したキャンプ。楽しかった。

 

変なやつになりたい、普通のやつになりたい。

 

また恋愛失敗した。

相変わらず上手く出来ない。

もう何敗目かは忘れた。数えても不毛だから。

 

今回はマッチングアプリで知り合った6歳年下の子だった。

マッチして1分で速攻メッセージがくるような、勢いのある子だった。

変な子だったし、普通の子だった。

 

マッチしてしばらくしてLINEを交換した。

毎日電話がかかってくるようになった。

別に話すことはなくて、動画を見たり、その子がしているゲームの音を聞いたり、時々弾き語りを(しかも深夜2時に)聴かせてきたりした。

そんなに何回も会ったわけじゃないくせに、結婚前提で付き合っていきたいとか、友達に紹介してほしいとか、そういうことを平気で口にする子だった。あとから、元カノに「あなたとの将来が考えられない」と言われて別れたというのを教えられて、あーだから"将来"に必死なんだな、と思った。

私越しに元カノとかと喋る、失礼な子だなと思った。

だから、好きとか言われても全然うまく対応できなかった。

 

それに、その子は一年近く病気でニートだったので、社会との繋がりが薄いだけで、どうせ社会と接点が出来たらあっという間に私なんかに興味なくなるのがわかっていた。

 

そのくせ、あんまり楽しそうに「好き」と言ってくるので、私も悪いやつだから無下にもせず、かといって応えることもせず、もしかしたら本当に好いてくれる将来があるんじゃないかとか、思って。

 

でも、病気で子どもが産めない私に対して、彼が子どもが欲しそうなそぶりを見せてきたから、近づくのは危険だなと感じた。マッチした時は「子ども、どっちでもいい、なんならいらない」って言ってたのにな。姪っ子ちゃんという大型アプデのおかげで心変わりしたらしい。まぁでもそうだ、普通の人は、普通の子は、子どもとか欲しくなるんだろうな。だから付き合うならもう少しちゃんと考えて、って伝えてた。私には、他の女の子みたいな普通のこと、させてあげられないから。

 

そのくせデートもしたし、友達にも会わせたし、一回だけセックスもした。そこでも「好き」と言われた。

でもやっぱり踏み込むのは怖くて、置き手紙を残してホテルを先に出た。進むなら、ちゃんと考えてください、って書いた。

 

そのあとしばらくして、彼が就職した。社会とのつながりが出来た。

そんで、一週間。

「8年ぶりに好きな人が出来た」

電話越しに告げられた。会社の人らしい。相手は変な人らしい。

どうやら私のことは恋愛としては好きじゃなかったらしいです。本当最後まで失礼な子だ。

普通のことしたがってたくせに、変な子と恋愛するんだね。まぁ好きにしてください。もう本当。

 

「これっきり?」

電話口でその子が言うので、当たり前だろ、と告げて電話を切って、不快に感じたことを羅列したLINEをして、おわり。

 

普通の人になろうとしたら、変な人に取って代わられた。普通じゃいられない人だから今までうまくいかなかったのに。

 

私ってどうしたらいいんですか?

普通でもいられない。変でもいられない。

全部中途半端。いつも。いつまでも。

 

少し前に「変なやつ辞めたい」みたいなタイトルの記事がバズっていた。私からしたら、なにを贅沢なことを言っておられるやら、である。

 

変なやつになりきれたら、おもしれぇ女でいられたら、私だってどうにか生きていけたのかもしれないのに。

そうじゃなければ、

普通のやつになりきれてたら、子ども産めるって素直に考えられてたら、どうにかなったかもしれないのに。

 

ないものねだりな人生を考えながら、また今日も多めの安定剤に頼る。

もう結構、生きるのに疲れてきた。

 

人を愛せないし、人に愛されない。

 

この前のカウンセリングでも、そんなことで泣いたばっかりだった。

もう10年になる。人と愛し愛されたい、って素直に認められるようになってから、そしてそれを叶えられないと知ってから。

毎月のカウンセリングで、毎月同じ話題で泣いている。

 

「さみしい」

 

そう言って泣くのは疲れた。

 

マッチングアプリは消した。

もういやになったから。

 

私って本当に、どこにもいけない。無力。

あの時あの瞬間に死んでおけたらみたいなことばっかり考える。

 

それでも、死ぬことも出来ない。

私は中途半端だから。

 

中途半端な人生。ばかみたい。

 

変な人になれたらよかった。

普通の人になれたらよかった。

 

どっちも叶わない。

叶わないなりに、生きる他ないのだけれど。

 

 

 

 

ねぇ私ってどうしたらよかったんですか?

 

 

 

 

表現せずにはいられない

 

今年、2本の映画に脳天を貫かれた。

 

1本目は『落下の王国』。

あらすじは今更私が述べる必要はない。

 

2本目は『Ryuichi Sakamoto: Diaries』

こちらも、今更私がぐだぐだと述べるつもりはない。

 

私にとってこの映画たちは、間違いなく「表現すること」がいかに素晴らしく、そして狂った行為であることを考えさせてくれた映画だった。

 

ロイも坂本さんも、あれだけ苦しく悲しい状況にいながら、「表現している瞬間だけは、その苦しみから解放されている」ように私は見えた。

 

それは救いでもあり、しかし表現を常としない者から見たらただの夢想だ。

そこまでして何を残す?なんのために?と言われても、当の本人達からしたら「そんなことは関係ない、私が、ただ表現したいから表現するんだ」「これは私のものだ」とでもいうようなものなんだ、これは。

 

私は普段エッセイを書く。

 

それは別に、誰かのためでもなく、まして社会や世界のためなんかじゃない。

 

私が、私のために、表現することをやめられないのだ。

 

10年前、今でもお世話になっている人に言われた言葉がある。

 

『君の傷は深すぎて、劇を生きることでしか癒せないんだろうね。』

 

その通りだと思う。

 

私は、エッセイを書く、その書いた文章の中でしか生きられないのだと思う。

 

ばかばかしい、と思う人もいると思う。

金や時間や気力を使って、文字の中を彷徨い歩くことのなにがいいのか、と。

 

でも、私は知っている。

 

私は、私たちは、それでも表現することを辞められない。

 

ある人は音楽かもしれない、ある人はダンスかもしれない、絵かもしれない、文字かもしれない、なんでもいい。私たちにとってはそれはツールでしかない。しかし、実のところツール以上の意味がある。

 

表現しないと生きられない人達がいる。

 

表現することで癒され、呼吸を許される、そんな水底の魚みたいな人達がいる。

 

そして、私はこの2本の映画を観て、感じた。

 

私は1人じゃない。

 

仄暗い水底でもがきながら表現している、時々ふと目を逸らす。

そうすると、隣に同じ様に、孤独に踠く表現者を見つける。

その表現者はこちらなんて見もしないかもしれない。

存在に気がつかないかもしれない。

それでも。

ただそのことだけで、世界と繋がった気になって、私はまた安心して狂った様に踠くことが出来る。

 

表現することでしか呼吸できない人間がいる。

 

少なくとも私はそうで、同じと言ったらおかしいかもしれないけれど、それはロイで、アレクサンドリアで、坂本さんで、そしてもしかしたらあなたかもしれない。

 

狂ったようにしか生きられないけれど、それでも私は、表現することをやめられない。

表現せずにはいられないのだ。

 

 

あの本の話

 

Amazonで頼んだ本が届いた。

 

間宮改衣さんの『ここはすべての夜明けまえ』という本だ。

今年読んだ本の中でダントツにいい本だった、と断言できる。

あらすじや感想など、語りたいことは多いけれど、それは一旦置いておいて。

 

今年の初めから半ばまで付き合っていた遠距離の男のところにいくまでの新幹線の中で読んだんだった。

まだ暑くなりきらない気温の中、私は新幹線に乗り込んで、岩みたいに重い荷物の中からこの本を取り出して、ぱらぱらとページをめくって。

数ページ読んだだけで虜になった。

この本は、すごい。

そう思って一心不乱に読んだ。

泣きながら泣きながらページをめくって、文字を追って、その度にこころを強く揺れ動かされた。

あっという間に読み終わって、表紙の写真を撮った。インターネットにUPした。

とにかくはやく、彼の元にいきたいなと思った。

この感情を、感動を、はやく伝えたい、と思ったから。

彼に本を渡した。読んで欲しかった。

いや、読まなくてもいいから、この本を抱いて私の話を聞いてほしかった。

 

彼は、「俺、本あんまり読まんのよな」みたいなことを言って、プリンターの下の戸棚の引き出しに本を仕舞ってタバコを吸いに行った。

 

その本はそのまま読まれることなく引き出しの中にいることだろう。

だろう、というのは、友人各位はご存知の通り、私とその男は別れたので、その後の本の行方がわからない、というあれだ。

彼は私が大切にしている本だということを知りながら、私が「他の荷物は捨ててもいいから、あの本だけ、着払いでいいから送ってほしい」と言っても、それを今の今まで無視している。

 

「大事な本やもんね、了解!」

 

とか、口先だけでは威勢のいいことを言っていた人だった。

 

本当に、私にとって大切な本だった。

あの新幹線で彼を想った時間ごと、丸ごと大切な本だった。

たくさん泣いたし、未来で何度も何度も読み返す予定だった。

あの本が捨てられるのはどうしても悲しい。

でも、もうどうしようもない。

悔しくて虚しい。

 

今日、Amazonで買い直したその本が届いた。

ぱらぱらとページを捲ると、やっぱりどうしても涙が出てきてしまう。

それは、この本の美しさがもつ煌めきみたいなもののおかげで、この本を美しいと思える私の心でよかった、と思わせてくれるもののおかげで、同時に、この本の美しさがわからない奴なんて、という逆恨みでもあって。

 

本当は、ちゃんと返して欲しかった。

私が胸に抱いていたあの本を粗末に扱わないで欲しかった。

 

どうにも届かないまま、クリスマスがくる、年末がくる。

 

あの本は、あのまま引き出しの中で埃をかぶって眠っているのだろうか。

そのことを思うと、どうにも情けなくてまた泣けてくる。

どうか、せめてあの本が、私にとって大切なあの本が、粗末に扱われていませんように、とか意味ないことを考えながら、私は新しく手元に届いた本の表紙を撫でる。

 

他の人から見たらとってもくだらないかもだけれど、そのくらい私にとって大切なものだったから。

 

 

孤独に寄り添う10冊

※この記事は、アドベンターで開催されている「オススメの十冊」企画のために書いた記事です。詳しくは↓↓↓

オススメの十冊 Advent Calendar 2025 - Adventar

 

 

 

 

読書が好きだ。ただ、新しい本を読むのはあんまり得意じゃない。わたしは同じ本を何度も読む癖がある。読めば読むだけ、新しい驚きもあるし、読み馴染んだ安心感もある。本棚には大好きな本が詰まっていて、背表紙を撫でるだけで幸せな気持ちになる。孤独な夜にも、わたしに寄り添ってくれる。

そんな風に、生きている中で出会った、10冊の本について話させてほしい。

 

 

1.アルジャーノンに花束を/ダニエル・キイス

不朽の名作と言われるこの本。わたしにとっても大切な1冊だ。

知的障害を抱える「チャーリィ」。彼の一人称視点で物語は進んでいく。不器用で優しくて、そんなチャーリィの人生をのぞき見することができる1冊だ。

この本を最初に読んだのは高校生の頃だったと思う。

初めて読んだとき、衝撃を受けた。こんな本があっていいのか、と。

拙いひらがなで紡がれる彼の世界、その世界が、徐々に歪みだす瞬間、そんな大切なものを、わたしがのぞき見できるなんて、と。

この本を読むと、毎回、幸せってなんなんだろうな、と陳腐なことを考える。それは、この本を読む時に避けては通れないテーマであり、そして、「チャーリィ」は「わたし」なのだ、彼は一体幸せだったと言っていいのか?と感じてしまう以上、わたしのこととして考える他ない、と思うのだ。

 

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2.恋する寄生虫/三秋縋

この本は、この季節に読むからこそ輝く、冬の名作だ。

強迫性障害を抱える主人公、高坂。彼が謎の女子高生と出会うことで、世界は一変していく、というストーリー。

この本を読んだのは、真夏の或る日だった。あぁ、なんてもったいないことをしたんだ!と、本を閉じた瞬間に後悔した。これは、冬に読むべきだった。

寒い季節に、あぁ自分はこのままずっと1人なのかもしれない、と街行くカップルや家族連れを見て絶望したことがある人も、少なくないだろう。そんな人にはぜひ読んでほしい1冊だ。主人公たちが感じる、あの寒空の下の孤独感。それを一緒に感じることができる、なんとも特別な1冊。わたしにとっては、あの空気感すら宝物だ。

 

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3.センセイの鞄/川上弘美

ある日、主人公のツキコさんは居酒屋で高校時代に自分の学校で国語を担当していた「センセイ」と再会する。そのセンセイとめぐる、季節の物語。

わたしは、人生で1番好きな本は?と訊かれると、毎回この本を挙げる。1番大切で、1番憧れの物語だ。

この本は、とにかく食べ物がおいしそうに描かれる。食べることは生きること、とはよく言ったもので、主人公たちはよく食べ、よく生きる。その生活をのぞき見出来ることが、とても嬉しくて、愛おしい。わたしもこのように誰かと生きられたら、とよく思う。

誰かと生きる、というのは、寝食を一緒にすることが本質ではなく、「こころの中に、その人のための椅子がある」ではないか?と思う。特に、ラストの湯豆腐のシーンでそう思う。心の中にある特別な椅子。この本は、そのことを伝えてくれる本だ。

 

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4.惑星/木原音瀬

自分のことを「宇宙人だ」という男が主人公のこの本、孤独、絶望、その中に光はあるのか、と、読む度に打ちのめされる。それでも読むのをやめられないのは、この人の書く物語が好きだ、と胸を張って言えるからだ。

この人が書くものが好きだ、と言えるものに、人生でどれだけ出会えるんだろうか。わたしは、この木原さんの書くものが本当に好きだ。木原さんの描く人物達は、生きづらさや歪みを抱えながらも、懸命に藻掻き、時に諦め、絶望し、それでも生きていくほかないのだ、と思わせてくる。目の奥に宿る焔のような揺らめきが、文字越しに伝わってくるのだ。そんなものを描ける人間が、どれだけいるのだろうか。わたしは普段エッセイを書いていて、小説は書かないのだけれど、もし小説が書けるのなら、この人に嫉妬して狂ってしまうと思う。こんな目の奥の焔を描ける人に出会えた人生で、本当によかった。

 

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5.「ほどよく」なんて生きられない/横道誠×菊池真理子×二村ヒトシ

自分を「依存症だ」と思ったことは、感じたことはあるだろうか?わたしはある。実際に、医者に「危ない状態なので、入院しましょう」と言われ、保護室に2週間ほどぶち込まれたこともある。ドアノブもない、窓の鍵もない、畳に布団が置いてあるだけの簡素な部屋だ。……わたしの話はいいか。なにが言いたいかというと、わたしは「何かに依存して狂っていないと、正気を保てない人間」なのだ。作者の横道さんは発達障害当事者で宗教2世で、依存症当事者の大学教員。菊池さんは宗教2世で依存症の家族がいる元被虐待児の漫画家。そして二村さんはACであり、現役のAV監督。彼らの共通点は、『「ほどよく」なんて生きられない』ことだ。では、そんな彼ら彼女らは、どのようにして生きているのか。……これ以上は、わたしが語ると説教臭くなるし、ついつい自分のことを語りたくなってしまうのでやめておく。ただ、一つ言えること。わたしが「ほどよく」生きるために手に入れたのは、「書くこと」、そして書くことで「繋がる」ことだった。そのことを、改めて思い出させてくれた本だった。

 

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6.「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。/小川たまか

この本に出合ったのは、小さな個人経営の本屋さんだった。かわいらしい表紙とは裏腹に、ものすごいタイトルだな、と思ったのを覚えている。内容は、世の中にはびこる性被害や丹念に取材された#MeTooについて、時には自分が見過ごしてきていた出来事についてなど……簡単に言えば、所謂フェミニズムについてのものだ。読んでいてめまいがするほど、ひどい世の中!と叫び出したくなる現状。女として生きることの苦痛など、頷きながらも涙してしまう、そんな本。

この本の素敵なところは、作者の小川さんがまだこの世の中を諦めていない、という点だ。この世の、「ほとんどない」とされている凄惨な部分に目を向けつつ、それでも、それでも社会や人間に失望しきらず、ともに生きていく。わたしもそうありたい、と思える。そんな本だ。

 

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7.地獄堂霊界通信 セカンドシーズン5巻 幸福という名の怪物/香月日輪

続きものの途中の巻を挙げるな、という声はさておき。このシリーズは、街の外れにある「極楽堂(あまりの見た目に地獄堂と呼ばれている)」の店主に出会った3人の小学生男子が主人公だ。わたしが読書を自主的に行うようになったきっかけのSFファンタジー。1巻完結タイプの児童書なので、是非、気になるサブタイトルからでも読んでみてほしい。本当は最初から読んでほしいけれど…。

この巻で、主人公3人組の1人、椎名は「自分の本当の幸福とは」という問いに直面することになる。それはきっと人類に対する問いであり、そして、小学生という小さな男の子にはあまりに重い問いだ。しかし、彼は逃げずに向き合う。その姿に涙したり、かっこいい!と胸を高鳴らせたりする女児は、わたしだけではないだろう。え、わたしが女児じゃないことについては触れないでもらえますか。

 

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8.さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ/永田カビ

タイトル、表紙、初めて出会った時の衝撃たるや!わたしが自分でエッセイを書こうと思ったきっかけの1冊だ。物語は、作者のカビさんが抱える「孤独」を語るところから始まる。誰かに抱きしめてほしい、と、オブラートに包むことなく叫び続ける様は、かっこよくて、そして痛々しい。そんな彼女が最終的に行きついたのが「レズ風俗」。その先に彼女がずっと求めていたものはあるのか、という、こんなにも身体を張ったレポは、他にないだろう。わたしはずっとカビさんの幸せを願いながら作品を買い続け、読み続け、そして、自分自身も書き続ける。それがきっと彼女の作品に“誠実である”ことなんじゃないか、と祈りながら。

 

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9.人馬/墨佳遼

こちらは漫画作品。……時は戦国時代。上半身は人、下半身は馬の姿をした「人馬(じんば)」という生き物が住んでいた、という説明から話はスタートする。人馬は本来山に暮らし人間と共存していたが、戦争が始まったことにより尊厳は奪われ、戦の道具として捕らえられてしまう。その中で生きる人馬たちの生涯、そして命の連なりを描いた大傑作。

この作品を読むと、生きることを諦めない、ということの、なんと辛く険しく、そして愛おしいことか、と思う。わたしは、生きることはつらく孤独で、険しくて、本当に、なんでこんなこと、と思う夜も往々にしてある。しかし、この漫画を読むと、わたしはじめ、生きとし生けるものが、1人で生きているわけではなくて、それはきっとわたしだけでなくて、みたいなことを考える。そして、その時間を慈しむことができる。長い夜に一気読みしてほしい作品だ。

 

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10.ここはすべての夜明けまえ/間宮改衣

10冊目には、今年読んだ本を。

「ここはすべての夜明けまえ」。なんと美しいタイトルか!と衝撃を受けて購入した本だ。内容としては、人類が滅んだ2123年、唯一の生命体「わたし」が、残された記憶を頼りに口頭で「家族史」を記録して作っていく、というものだ。

新幹線の中で一気読みしたのを覚えている。あまりの内容に、涙があふれてとまらなかった。両親の記録、兄弟の記録、愛していた人の記録、そして、わたし自身の記録。その記録を紡ぐという営みの、残酷で美しい様を、こんなにも表現できるのはすさまじいことだと思った。

わたしはこの本を読んだその日、新幹線で大好きな恋人に会いに行ったのだ、その時の「わたしは、この子と違って、いつか彼を忘れていくんだろうか」という気持ちと、「だからこそ、わたしはエッセイを書きたい、記録して、記憶していきたい」と思わせてくれた。そんな本に、今年新しく出会えたことは本当に幸福だった。

 

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今年も、色々な本と出会った。新しく読んだ本もあれば、改めて読み直した本もあり、本当に楽しかったな、と思う。

楽しかったな、と一言で言うにはちょっと色々と苦労もあったし、自殺しようとしてODしてみたり、部屋で包丁を投げて大暴れしてみたり、そんなこともしたけれど……まぁ、終わりよければすべてよし、ということで。

今年も沢山の本に出会えて、そして、孤独な夜に寄り添ってもらえて、本当に幸運だった。

この記事を読んだあなたも、少しでも孤独に寄り添える物語に出会えますように。

 

 

メリークリスマス!