だめだったら、もうおしまい。

明日、大学院入試の、本命の試験がある。

ブログを書いている場合じゃないだろって笑ってほしい。でも、それでも私は誰かに聞いてほしかったのよね。

 

もうⅡ期だけで5校は受けた。

全部落ちた。笑っちゃうね。

一次の筆記試験通ったのに、面接で落とされたところも少なくない。

理由は単純で、私はとにかく口を滑らせるから。

「どうして大学院に?」

「小さな頃からの夢で」

こう、バカ正直に答えなくていいのに、言ってしまうのだ。

小さな頃から大学院行きたい奴なんてそうそういないんだから、と予備校の講師に相談した時に笑われた。

言われりゃその通りである。

「小さな頃から心理学を生業にしたいなんて変わり者、なにか大変なバックグラウンドがあるんだろうなって思われちゃうから、そこは、今の仕事をしていて問題意識を〜とか言うといいよ」

と講師は笑って言ってくれた。まぁ全部落ちたあとに言われてもなんですが…いや相談しにいくのが遅かったか。まぁ後悔しても仕方ない。

 

小さな頃から、心理士になりたかった。

いわゆるカウンセラーというやつだ。

こころの専門家になりたかった。

それしか私には残されていなかった。

 

小学生の頃からずっといじめられていた。

学校の先生も、家族も、「あらあら」なんて笑って見てるだけで、助けちゃくれない。小さな子供のやることなんかみんなおままごとなんだろうな。

中学生の時も、嫌がらせを受けていた。

それに関しても、誰も助けてくれなかった。

死ぬしかないな〜と漠然と思っていたし、それしか道はないんだろうなと確信めいたことを考えていた。

その時、唯一、私に声を掛けてくれたのが、塾の先生だった。彼は大学生で、まぁ所謂アルバイト講師だ。

それなのにいつもいつも、私が暗い顔をしているのを見つけて、狭い教室で「うんうん」と話を聞いてくれた。

 

それだけで、「まだ生きれるかもしれない」と思った。

 

私を怒鳴り蹴るうつ病の母親。

カルト宗教家の父親。

所謂学習症の弟。

人に頼るなと喝を飛ばす祖母。

アルコール依存症の祖父。

保護者も一緒になって嫌がらせをしてくる部活の皆。

出来損ないと詰る担任。

 

毎日机を黒く塗る私。

 

塾にいる時だけ、なんとか呼吸していたみたいな生活だった。

でも、こんな人がいてくれるなら、なんとか生きていけると思った。

卒塾式、先生から手紙をもらった。

 

『君は人よりも孤独を知っている人だから、人に寄り添うことがきっと出来るよ!』

 

人に寄り添うってなんだろう。

わからないから本を読んだ。国語だけは好きだったから。図書館や図書室に入り浸って、あれこれ色々と本を読んで過ごした。

 

そこで偶然見かけた、『13歳のハローワーク』という本。

あるページに、「カウンセラー」と書いてあった。

 

これしかない、と確信した。

私の人生は、これになるためだけに、続くのだ。

そう思った。

 

勉強は苦手だった。持ち前の発達障害で集中力はないし、暗算なんて1ミリも出来ない、英語は全部文字がふわふわ浮いて見えるし、どうしてもそれが日本語と結びつかない。

それでもなんとか高校は卒業して、大学に行った。

カルト学校に入れたい父親から逃げるために引っ越した先にあった大学。そこしか選択肢は与えられなかったけど、運良く心理学科があった。

なんとか合格して、毎日心理学だけを勉強できる日々が始まった。本当に、運が良かった。私は国語だけは出来たから、本から論文からいろんなものを読みまくった。好きなことだから、と、死ぬ気で、今までの不足を取り戻す気持ちで勉強した。成績はかなり良かった方だと思う。英語だけはどれだけ頑張ってもCだったけど。

このまま院に進んで、まだまだたくさん勉強出来ると思ってた。

20歳になった。

「子育ては終わりだから、あとは好きにしな」

言い捨てられた。

私はこの頃にはもう卒論の準備をしていて、なけなしのアルバイト代など全て研究費用に充てていたから、貯金なんてなかった。

今言うなよ、と思った。もっと早い段階で言っててよ。あと、じゃあなんで、この前まで、19歳までバイト禁止にしてたの。

奨学金について調べた。まだ両親は籍が入ってた。

父親はカルトに金を貢げる程度にはお金持ちで、条件から外れていたみたいだった。

私はバカで、なにか抜け道がないかって母親に、調べてみてよって泣きついた。

「あんたまだ学生やるつもり?私いつまで子育てしなきゃなのよ」

カウンセラーになれないなら、大学院に行けないなら、もう死ぬしかないと思った。

そんな中で、私に声を掛けてきた、今考えれば危ない大人にのめり込んだ。

身体も、なけなしの貯金も渡した。

でも何かでこの世に繋ぎ止めておかないと、吹いて消えてしまうと思ったから。

私の様子がおかしいのに気がついて、ゼミの先生が、「しばらくゼミだけでも休もう、大丈夫だから」と声を掛けてくれた。

空いた時間にその悪い大人に会いに行って、私を消費してもらっていた。

死ねばいい、死ねればいい、と思いながら、それでも電車に飛び込むのが怖くて、電車を何本も見送って泣いた。家に帰っても、猫が鳴いてるだけで、誰も私を抱きしめちゃくれなかった。

死に損ねたままてきとうに就職して、てきとうに働いた。実家から通っていたので、一年で百万円貯めた。働きすぎて失神して倒れて、そのまま精神科送りになった。薬なしでは何も出来ないからだとこころになった。

結局限界がきてそのままその仕事は辞めて、次の仕事もうまく行かなくて半年で辞めて、もう色々ダメかもなと思った。運良く元バイト先のひとが声を掛けてくれて、半年かけて資格を取って再就職した。

もうこのままてきとうに生きていくんだろうな〜と思った。働かなかった期間で、百万円はなんやかんや二十万円になった。結婚の予定もないし、夢もない、このままゆるやかに死んでいくんだな。金ないし。

 

「お前、大学院行きたいって言ってたの、どうすんの」

 

大学の同期と酒を飲んでいた時だった。

「そんなの無理だよ、金ないし、あたま悪いし」

「わかんないじゃん、金なんか貯めりゃいいんだよ、あたま悪いとか言ってるけど、大学ではそんなことなかったし、今から勉強すりゃ間に合うよ」

「…」

「ゼミの先生、まだLINE残ってるだろ、今ここでLINEしろ。大学院行くのになにが必要ですかって、相談しろ、今すぐ、今から準備すればいいよ」

どうせ返事来ないし、忘れてるよ私なんて、そういいながら、ダメ元でLINEを送った。

次の日、返事がきた。

『ずっと心配していました。大学院にいきたいと言うのも、諦めてしまったのかと残念に思っていましたが、強く引き留めることも色々事情もあるだろうし難しいと思いまして。』

教授の言っていた専門書、お金がなくて2冊だけ買って、それを毎日読んだ。

仕事が忙しくて勉強出来ない日もたくさんあった。

一年で百万円貯めてたのが嘘みたいにお金は貯まらなかった。転職して、時間にゆとりのある仕事になったから。三年かけて、二百万。手取り十五万しかなくて、それでもこつこつ毎月積み立てた。ボーナスも全部。お給料が十三万を切った時、悔しくて泣いた。泣きながら施設長に直談判して、役職をもらってなんとかお金をもらった。その分仕事は増えた。勉強する時間はどんどんなくなった。それでも本は読んだ。少しだけでも。精神科に入院したこともあったし、途中やっぱり諦めて自殺しようとも思った。でも出来なかった。進み出した以上、止まらなくなった。

 

去年やっとお金が貯まった時、嬉しくて大泣きした。

これでやっと受験が出来る。

予備校に申し込んだ。仕事はパートに切り替えた。正社員じゃ予備校に通えないから。

勉強を始めて二ヶ月目、ストレスと、眠気覚ましのカフェインが原因で大腸炎になって入院した。

恋人が出来て、別れた。

どんなことがあっても、泣いても吐いても、毎日は過ぎるし、受験まで時間はいくらあっても足りなかった。

 

そんなこんなで迎えたⅠ期、全滅だった。

ペーパーテスト突破すら出来なかった。

笑っちゃった。死ぬしかねぇ。

 

それでも予備校の講師に泣きついて、なんとか、Ⅱ期の準備をしてきた。

 

それがもうそろそろ、全部終わり。

これがダメだったら、本当に自殺しかないなって毎日泣いている。

本当は死にたくない。

大学院に行きたい。

私にだって夢があった。

キャリアは捨てた。恋人に捨てられた。

連絡取れなくなった友達だっている。

それでもやりたいと思えることが一つだけあった。

 

「まだ合格させてやれなくて、本当にごめん」

予備校の講師が言っていた言葉、情けなくて不甲斐なくて申し訳なかった。

 

明日、とうとう本命の試験。

一応、その後にもう1校だけ試験が控えている。

正直自信はない。

ペンだこばっかり大きくなって、それなのに回答はイマイチな答案ばっかりで。

 

それでも、とりあえず。

 

死ぬための片道切符と宿は用意したんだ。

そこで死ぬのも、私らしいかなって。

 

まぁ死ぬこと考える前に、まずは試験ね。

いってきます。今日は少し早いけど、寝ます。

ダメだったらみんな、「お疲れ様」って笑いながらお酒とか一緒に飲んでね。私が死ぬ前にさ。