花が咲くといいな

2023年、いろいろあった。

受験生を辞めた。

親と大喧嘩した。

一人暮らしを始めた。

受験をうまくやれなかった自分、親とうまくやれなかった自分、不甲斐ない自分。

毎日死ぬことばっかり考えていた。

本当は死ぬ前にやりたいことが沢山あった。読みたい本を大人買いした。海の見える宿を予約した。死ぬ前に皆に会いたくて、バーイベントを企画した。

どれも取り留めないことに見えるけど、結局は、死にたくないだけだった。

 

読みたい本を買うだけ買って、山積みにした。どれも諦めたはずの心理学の本で、あぁここまで愛せるものに出会えただけでも幸せなのかもしれない、と思った。

海の見える宿に泊まった。そのすぐそばの海で死ぬつもりだった。海辺に人が沢山いて、それを見てるうちになんだか泣けてきて、死に損なった。水族館に行って海鮮丼食べて帰ってきた。おいしかった。

バーイベントでいろんな人に怒られた。死ぬなら事前に連絡しろって言われて、そんな風に言ってくれる人がいてくれる人生ってあんまり捨てたもんじゃないのかもなと思えた。

家を出た。一人で暮らす家は小さいはずなのに広くて仕方なく感じて、毎晩泣きながら眠った。

愛さなければいけないのに、うまく愛せない人生だな、と思った。

そのうち一人でいることに耐えられなくなって、適当な出会い系で訳わからん男たちと会って家に帰らない日が増えた。

そんなこんなしているうちに、一人の変な人に会った。

出会い系で出会った私みたいな変な奴にやさしくしてくれる変な人。

その人にきちんと向き合いたいなと思ってるうちに、人に向き合うってなんだろうって考えることが増えた。

いろんな人と、いろんな話をした。

死にたいとか、泣きたいとか、苦しいとか、みんな抱えていて、でもそれでもみんな生きていて、生きるしかなくて。

生きるのがつらかった。人と向き合うのは正直怖かった。傷ついたところで、私に帰るところなんてないし、帰るだけのあの小さな部屋は私を抱きしめてはくれない。

仕事はうまくいかないし、眠れないし、食べては吐いたり気絶したりして過ごしていた。誰も心の中に入れたくなんてなかった。私を救えるのは私だけだって泣いていた。

 

本当はわかっていた。

そんなことして生きていけるわけがないって。

 

だって私が死のうとしたときに声をかけてくれた人たちは、愛した学問は、見た景色たちは、とっくに私の中にいるって知っていた。

 

出会い系で出会った変な人とセックスをした時に、どうしてこんなことをしてるのって訊かれたことがあった。

昔心の底から愛した人から、「君から女ってこととかセックスとかを取ったら何が残るの」って言われたから、一人でいるとその言葉を思い出して、って答えた。

変な人は今にも泣きそうな顔をしながら、そんなことないんだよ、とだけ呟いて私を抱きしめて頭をなでていた。別に恋人でもなんでもないのに、やっぱり変な人だなと思った。そう思ったし、こうやって私を抱きしめてくれる人にもっとちゃんと向き合いたいな、そんなことが出来たらいいなと思った。

 

人と向き合いたいと思った。本当ならそういうことが出来るのに、怖がって、やらないで、逃げてばかりの人生だった。

 

本当に、いろんな人と、いろんな話をした。

それなのに、いざ人と向き合おうとすると、話したいことがうまく出てこなかった。

伝えたくても伝わらなくて、苦しい思いをたくさんした。

でもそれ以上に、伝えようとしていなかったことにまみれた人生だった。

 

12月の24日に、例の変な人に交際を申し込んで、承諾を得た。

 

人に向き合いたいと思わせてくれたうちの一人と、そのスタートラインに立てた。

ここに至るまで、こう決意させてくれた人たちとも、もっと向き合って、対話を出来たらいい、いや、したいと思った。

 

泣く夜が減った。それはきっと多分、ここまで自分を見守って話をきいてくれた人たちが、私のなかにちゃんといるって気が付けたからかもしれない。

 

2023年、ありがとうございました。

みんなのおかげで、ここにこうして立っていられると思います。

 

立てなくなることもあるかもしれないけど、その時は、座って空を眺めながらでも、今度はみんなの話をきかせてほしいです。私はおしゃべりで、自分がしゃべってばっかりになってしまうこともあるけど、そんな私を笑ってたしなめて、懲りずに私に聞かせてほしい。みんなのこと。

 

 

来年もよろしくおねがいします。